『聞』にある『耳』は出るか出ないか?−その5
前回から長いことご無沙汰だったが、様々な書体の『耳』と『聞』の字形を挙げてまとめとするつもりである。
(なお、本来なら以下に挙げた参考文献の該当箇所をスキャン画像を掲載するのが妥当なのだが、スキャナを所有していないため掲載できないことをご容赦願う。また、この議題は本来なら教科書体、ないし楷書系の字形を挙げるべきなのだが、参考にした文献が明朝体のみだったこともあり本題とは多少異なることになっているが、これもご容赦願う。)
岩波新書での『耳』と『聞』の字形
岩波新書の使用書体は明朝体であるが、筆者の手元にあるもので『耳』と『聞』の字形を調べた結果、『耳』の字形は2種類(下の画像の2、3)、『聞』の字形は2種類(下の画像の4、5)であった。
(代表して「ヒラギノ明朝Pro W3」で示す。字形2・4が「ヒラギノ明朝Pro W3」自身の字形、字形3・5・6は「ヒラギノ明朝Pro W3」を基に筆者が作成したもの。)
(『聞』の字形6は、上の「MacOSX搭載分『聞』の書体別字形一覧」の中の「Apple LISung Light」などの字形で、主に中国系の書体に見られる。)
ところで、上記画像には『耳』の字形に1も挙げているが、現在はこの字形を持つ書体は見あたらない。かといって『聞』の字形4からの類推字形、でもない。実はこの1の字形は戦後直後までの活字では、明朝体では一例のみ見られるが、楷書系書体(後の教科書体と呼ばれるものも含め)最も一般的であった字形の一つであった(もちろん2の字形もあった)。『耳』の字形1の明朝体の字形については『明朝体活字字形一覧』((下)のp.406の(2)米長老会)を、楷書系書体、特に教科書体活字の字形については『教科書体変遷史』(p.35、p.42、p.66)をご覧あれ。また、『聞』の明朝体の字形については『明朝体活字字形一覧』((下)のp.407)にある通り、上記画像の4・5・6が存在していた。
戦後直後までの教科書体活字での『耳』の字形1が、現在2の字形になった経緯の真相としては、
- 1949年内閣告示の「当用漢字字体表」で提示された字形が「たまたまそうなっていた」からで、その字形になった根拠は「ない」
ということのようだ。
そして、その字形に合わせて(というより、それに「右に倣え」という感覚で、というのが実情だと思われるが)印刷・出版・マスコミ・公官庁などが活字を製作してそれが普及したため、それ以後、『耳』の字形2が日本においては「正しい」字形と認識されていった。『聞』についても、字形4になった経緯とその理由は『耳』に同じ。
本来は「当用漢字字体表」の字形も、その後の「常用漢字表」、そしてに付属している「学年別漢字配当表」の字形もあくまで「標準」であって「正しい」のではない、ということをここに言い添えておく。
さて最後に、
漢字を楽しむ (講談社現代新書 1928)
において、この議題の元となった漢字の書き取りについて1章を割いて詳述しているので、一読あれ(必読!)。
また、この本で
東京ビデオフェスティバル2007 | 作品視聴・コメント投稿・Web投票 ― 漢字テストのふしぎ
も紹介されている。
また、
漢字テストのふしぎ(tonan's blog)
漢字テストのふしぎ(しろもじメモランダム)
において上記の映像を踏まえたお話をされているので、こちらも一読あれ。
それから、昭和を騒がせた漢字たち―当用漢字の事件簿 (歴史文化ライブラリー 241)の一読もお勧めする。特に『「よい子の像」碑文裁判』の項には漢字の「標準」を巡る過去の例が挙げられており、考えさせられるものがある。
参考文献
明朝体活字字形一覧〈上〉1820年‐1946年 (漢字字体関係参考資料集)
- 作者: 文化庁文化部国語課
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- 作者: 板倉雅宣
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