アメリカにおけるWood Typeの歴史の概要

今ごく狭い範囲でWood Typeが熱い。
アメリカのWood Typeについて、ざっくりと概要を調べてみた。
今回は、重要な役割を演じた人物についてごく簡単な紹介をば。

はじめに

木活字自体は、中国を始めアジアやヨーロッパで広く行われていたが、現在のようなWood Typeは、アメリカにおいて、19世紀初頭からの商業印刷の発展に伴う大判の広告物の需要に応えるべくして登場した。大判の広告物は大きな活字を必要としたが、金属活字では重くて扱いにくくまたコスト的にも合わない。その点Wood Typeならば金属に比べて軽くまた安価に入手可能であった。
Wood Typeで使用する木は、リンゴ(apple)、ツゲ(boxwood)、サクラ(cherry)、モチノキ(ヒイラギ、西洋柊、holly)、マホガニー(mahogany)、カエデ(モミジ、maple)、マツ(pine)、ハナミズキ(dogwood)がある。

ダリアス・ウェルズ(ダライアス・ウェルズ、Darius Wells)

1827年に活字の大量生産方法を発明。1828年には、知られる限り最初のWood Typeカタログを発行する。
それまでのWood Typeの製造方法は、木に直接文字を書くか木に紙を貼付けてその上に書くかして、文字以外の箇所をナイフか彫刻刀で削り取るものだった。
そこにウェルズは今後の標準となる「lateral router」という新しい工具を導入した。それはWood Typeを大量生産するには必要不可欠なものだった。またこの工具は1834年にウィリアム・レヴェンワース(William Leavenworth)による写図機(pantograph)と組み合わせて使われるようになる。
最初のWood Typeカタログの前書きでウェルズは、金属活字の半分のコストで済み、また活字表面は機械製造のため平滑である、鉛で大きな活字を造る場合冷却が一様にし辛いため歪みやすい、とWood Typeの優位性をアピールしている。

ウィリアム・レヴェンワース(William Leavenworth)

1834年に写図機(pantograph)を導入し、またウェルズのrouterと組み合わさることで、Wood Typeの製造工程に多大なる貢献をなすことになる。


lateral routerと写図機(pantograph)の組み合わせ

エドワード・ハミルトン(Edward J. Hamilton)

1880年にモチノキ(ヒイラギ、西洋柊、holly)でWood Typeの製造を始める。モチノキはカエデ(モミジ、maple)に比べて半額でかつ1/16インチの薄さにまで切ることができてより安価なマツ(pine)に貼付けることができたので使われるようになった。
1868年にTwo Riversにやってきて、後に椅子の工場に勤め出した。
ある時ライマン・ナッシュ(Lyman Nash)という編集者から急な依頼を受け、急遽自宅裏のポーチ(mothers back porch)で足踏式のスクロール・ソー(scroll saw)を駆使してWood Typeを造り上げた。それは評判がよく、その後工場を辞めてJ. E. Hamilton Hollywood Type Companyを立ち上げることになる。