Universについて
注)2004年頃にまとめたもので、まだ調べ足りない箇所がありますがそのまま掲載します。微修正は追々ということで。
更新履歴
2009年3月20日:参考文献を追加。
2009年11月26日:注記*7を加筆追記。
2010年5月26日:参考文献を1点追加。(Adrian Frutiger - Typefaces: The Complete Works)
- 開発者
- アドリアン・フルティガー(Adrian Frutiger)
- 開発年
- 1954-1957年
- 開発元
- Deberny & Peignot社
- 所有元
- 1. Deberny & Peignot社
2. Lumitype Photon社—Deberny & Peignot社の関連会社
3. Haas’ sche Schriftgiesserei社—1927年D.Stempel社へ自社株一部売却、1989年Linotype社の管轄下に
4. D.Stempel社—1985年タイプ部門はLinotype社へ吸収
5. Linotype社 —1985年D.Stempel社タイプ部門の吸収によりD.Stempel社が所有していたHaas社の持ち株を取得
6. Linotype-Hell社—1990年Linotype社とHell社が合併
7. Linotype Library社—1997年Linotype-Hell社がHeidelberg社の子会社になり名称変更
8. Linotype社—2006年Monotype Imaging社の子会社に*2
開発背景
それまでのサン・セリフ体への不満
1950年代以前までは、広告見出し用や名刺などの端物印刷物のみで、本文用書体までの広範な領域で使用できるサン・セリフ体がなく、また1920年代から1950年代初頭までは、幾何学的なサン・セリフ体が主流であった。しかし高度な抽象化によって視覚上の修正をせずに済ますという構成の極端な厳しさ故に、特に小さな字では判読性が悪く、またローマン体*2がもつ生き生きとした雰囲気や自然な手の動きが感じられず、敬遠されるようになった。そしてまた幾何学的・抽象的な原理が模倣され形骸化していったこともあり、それに代わる新しいサン・セリフ体が求められた。
スイスとデザインとの濃密な関係
スイスは公用語が4ヵ国語(ドイツ語、フランス語、イタリア語、ロマンシュ語*3)あり、また第二次大戦時は中立国であったため、周辺国からの亡命者(多くのデザイナーを含む)が押し寄せ多言語を扱う機会が多くなり、同一紙面上にこれら複数の言語で文字を組んだとき、各国語の表情が均一になるように配慮されたタイプフェイスが求められていた。そして第二次大戦後、グリッド・システム*4の理論に沿って、テキストと写真の構成方法が生まれ、それに伴い書体の単純化、合理化が推進されるようになり、それに見合う書体が求められた。
印刷技術の進歩
1950年代になってから写真植字法*5による文字組版が注目され、Lumitype Photon社の要請により、Deberny & Peignot社で写植活字用としてサン・セリフ体を開発をすることになった。それまで書体は、金属活字*6用に設計されたので、必要に応じてあとから様々なバリエーションを追加したため、同一書体で異なった太さが混在すると、紙面の統一感や視覚的なリズムが失われていた。
特徴
同一の設計原理の基、最初から文字の太さや幅、傾きなどの様々な展開を持っていたので、タイトル見出し用から本文用にまで使用でき、同一書体で異なった太さの混在でも、統一性を獲得できると同時に、立体的な、新しい視覚構成をつくりだす。また小文字が比較的大きく一文字がゆったりと作られているため、小さな文字サイズでも読みやすい。そしてヨーロッパの諸言語の表記の相違や、文章の視覚的印象(文字と余白のバランス)の変化が目立たないように配慮されている。またスイスの言語状況と当時のデザインの雰囲気(左記『スイスとデザインとの濃密な関係』の項を参照)と、当時開発者が滞在していたフランスの美的要素(華やかで華奢だと一般的に思われているような)の気質をまとっている。
様々な展開を持つ体系的な性質が、合理主義的な要求に合っていたため、「トータル・デザインへの願望を持っていた1970年代後半のオランダのデザイナーたちに受け入れられ、それ以来、『オランダ』をイメージさせるようになった」*7という。
Linotype Univers*8
開発から約40年、所有権は流転を重ね、また世界中で様々なアレンジを加えたため、原形を失いつつあった。
1997年開発者自身の監修により、全面改刻し種類も大幅に増やしてデジタル化され、Linotype Library社(現Linotype社)より発表。
開発者略歴*9
- 1928年 スイス インターラーケン近郊のウンターゼーン生まれ
- 1949-1951年 チューリッヒ工芸専門学校(現チューリッヒ工芸大学)*10にて、タイポグラフィを学ぶ
- 1952年 パリのドペルニ・ペイニョ活字鋳造所に、タイプフェイス・デザイナーとして勤務
- 1957年 ユニヴァース発表
- 1975年 書体『フルティガー(Frutiger)』製作*11
- 1997年 ライノタイプ・ライブラリ社より、全面改刻された「ライノタイプ・ユニヴァース」が発売
現在、スイス ベルン郊外にて、活動中。
参考文献
- 作者: アドリアン・フルティガー,組版工学研究会
- 出版社/メーカー: 朗文堂
- 発売日: 2001/04
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- 作者: 組版工学研究会
- 出版社/メーカー: 朗文堂
- 発売日: 2003/07
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- 作者: 白石和也,河地知木,工藤剛
- 出版社/メーカー: 九州大学出版会
- 発売日: 2004/05
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Adrian Frutiger - Typefaces: The Complete Works
- 作者: Swiss Foundation Type and Typography
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*1:引用元:『活字の宇宙 (朗文堂タイポグラフィ双書 (1))』 組版工学研究会編 朗文堂 2001
*2:参照website:Monotype Imaging Inc.
*3:スイス南東部のアルプス北山麓で、3万人強(スイスの全人口の0.5%弱)の使用人口。イタリア語・フランス語と同系統。言葉の響きはイタリア語に近く、語彙などはフランス語に共通する。
*4:テキストのサイズと行間によって導き出されたガイドラインを設定し、合理的に紙面を構成して、抑制された統一感のある頁を作成する方法。写真・図中心のカタログなど、見ることを主目的にした紙面に応用される。
*5:写真植字機(写真の技術を利用した、フィルムなどに印字する装置)を用いて文字などをフィルムなどに印字して、版下などをつくること。
*6:金属活字は、同一書体の同一スタイルでも、文字サイズごとに1セット(このまとまりを本来的に「Font」という。詳しくは弊blog『2006-05-24 不親切な用語解説--「font」その9』を参照。)として製作せねばならない。ましてや違うスタイルを製作するとなると、セット数は膨大になるという欠点があった。
*7:引用元:『タイプフェイスとタイポグラフィ』 白石和也/工藤剛/河地知木/著 九州大学出版会 2004。またウィキペディアでは「スイスを想起させる」としている。ただ、書体に対し「●●●の国をイメージさせる」というのは日本だけの話らしいことを、Linotype社のタイプディレクターである小林章氏が言及している。(参照:『ここにも Futura』、『デザインの現場 小林章の「タイプディレクターの眼」 : 書体は特定の国の雰囲気を持ってるの? その3 Univers』)なので、書体に対し「●●●の国をイメージさせる」という表現は控えた方が良い。
*8:Linotype社websiteを参照。
*9:略歴に関しては、Linotype社websiteを基にしている。しかし、略歴の年が文献によって微妙に異なっている。
*10:College of Technical Arts (Kunstgewerbeschule) in Zurichの訳(Linotype社websiteより)。「チューリッヒ芸術大学」と記述している文献もあり。
*11:1970-1975年 シャルル・ド・ゴール空港のサインシステム用の制定書体として製作。飾り気のない、新しい視点を持った独自の書体として計画された。また人が移動しながら読むものであるので、動態視力の緩和と判別性と可読性を考慮するため、個性を感じさせず字内の囲まれた部分を大きくし優雅な線も持たないがっしりとした骨格の書体とした。その制定書体は当初、空港の所在地より「ロワシィ」と呼ばれていた。